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お子さんが「飛び跳ねること」は元気いっぱいな証拠ですね。小さいお子さんがその嬉しさや喜びを体いっぱいで表現する時も、飛び跳ねることがあるかもしれません。でもだんだん大きくなって、飛び跳ねることが時と場合にそぐわない場合、奇異な目を向けられてしまうかもしれません。たとえば飛び跳ねることがよくある自閉症のお子さんにとっては、そうした周囲の視線は、決して心地よいものではありません。
DVD『君が僕の息子について教えてくれたこと』(NHKエンタープライズ, 2015)の中に、飛び跳ねることがよくある自閉症の息子さんのご家族のお話が登場していました。その中でお父様の言葉がとても良い言葉があったので、今日はご紹介したいと思います。

ノルウェー南部に住むドラークスホルトさん一家の息子スコット君は、13歳の自閉症の少年です。スコット君は外出先で、他人の視線が気になるようです。そして気持ちが落ち着かなくなると、その場で軽く10センチくらいぴょんぴょんと飛び跳ねます。そしてまた歩きながら、また立ち止まって跳ねるといったことを繰り返します。気持ちの落ち着きのない状態と、跳ねる回数は比例しているのです。お母様と買い物に出かけたスーパーの中でも、商品の陳列コーナーを巡りながら、跳ねて、歩いてを繰り返していました。 かなり大柄なご両親と同じくらいの身長まで成長しているので、スコット君が跳ねながら歩くと、それがかえって視線を集めてしまうことになるかもしれません。
スコット君は自宅でも飛び跳ねていました。
いくら止めてもしばしば自宅の庭で、とりつかれたように跳んで、手を振って、歩いて、また跳んで…それを1時間近く繰り返すため、両親は手を焼いていたのだそうです。

でも、東田直樹さんの本『自閉症の僕が跳びはねる理由』の英語版『The reason I jump』がノルウェー語訳された『Hvorfor hopper jeg』と出会って、ご両親はようやく飛び跳ねるスコット君の声が、聞こえるような気持ちになったのだそうです。その本の中で中学生だった直樹さんは、空に吸い込まれてしまいたい思いが心を揺さぶり、鳥になってどこか遠くへ思い切り羽ばたいていきたいから飛び跳ねるのだと書いていたのです。
それまでご両親は、1年に15足も靴を履きつぶすほど跳んで跳ねることを繰り返していたスコット君の気持ちを、なかなか掴み難かったようです。

それゆえ、たとえ遠い海を隔てた異国の地に住む少年が書いた本であっても、同年代の自閉症の少年の心の内が綴られた本に出会うことにより、嬉しい気持ちでいっぱいになったのだと思います。それからドラークスホルトさん一家は、直樹さんの本をスコットくんの横で読み上げることが日課になりました。その関連するテーマについて、スコット君自身はどういう気持ちを持つのか、確めることが、大切な日課になったのです。
やがてスコット君は、だんだん、自分の心の中を言葉にして表すようになっていきました。

スコット君はお母様から飛び跳ねる理由を尋ねられると 「わからないけれど、そうしちゃうんだ。うまく説明でできないけど…ドキドキするんだ。ストレスを感じるから。」と答えていました。そして飛び跳ねることがスコット君についてどういう意味があるのかというと「落ち着く。嬉しくなるよ。」ということでした。
お母様はスコット君が飛び跳ねることを制しようとはしません。
「こうしている時は人がいても気にならないみたい。自分の世界に入り込んでいるのでしょう。」

理由を知ることにより「手を焼く」と感じていた気持ちが、息子さんへの理解のまなざしへと変わっていったことは、特筆すべきことですね。

さて直樹さんは、高校生になってから書いた本の中で「飛び跳ねる」ことについて、次のように記しています。

今の僕にとって、それは感情を自分の中で整理するためのものだと思います。
例えて言うのならこんな感じです。
「大事にしている気持ち」という静かな水面に、石を投げられて波紋が広がります。波紋はなかなか静まらないから、いらいらして自分でかき混ぜてしまいます。
すると、ますます水面は揺れるので、何とかしなければと、今度は跳びはねて上下に一揺らしてしまうのです。それが、跳びはねる状態だと思います。1)


僕が跳びはねたくなるほど感情の起伏に耐えられないのは、体のコントロールがきかない上に、感情のコントロールがきかなくなると、自分をどう保っていけばいいのかわからなくなるからです。普通の人も同じような気持ちになることはあるとは思いますが、行動のコントロールが自分の意思で出来るので、そんなに困ることにはならないと思います。僕にとって混乱した感情というのは、得体の知れないモンスターなのです。

跳びはねることの理由には、手足の位置がわかることによって、
自分の存在が実感できること、空に向かって気持ちが開くことなどもあります。
空に向かって気持ちを開きたくなるのは、人では僕の気持ちを受け止めきれないと思っているからです。2)


引用文献:
東田直樹(2010)『続 会話のできない高校生がたどる心の軌跡』エスコアール出版部
1) p.71
2) p.72

スコットさんが「落ち着く」と感じることは、高校生の直樹さんの言葉をヒントに考えてみると、自制できないほど心にさざ波が立った時、それは人に話したところでどうにかできるわけでもなく、またその状態は自分にとって決して心地良い状態ではないから、何とか揺れ幅を抑えて、自分を平静の状態に持っていこうとすることと等しいのだろうと思うのです。
誰か他の人や物に対して危害を加えるのではなく、自分の問題を自分で何とか解決しよう、対処しようとしているわけですね。
それは責任感の表れだとみることもできるように思います。

スコット君の自宅の庭には、トランポリンがあります。足を痛めないで思う存分飛び跳ねられるようにと、ご両親が配慮して設置したものでした。
確かに大柄なスコット君が、1時間もの間、固い地面の上を飛んで、歩いてを繰り返していたら、膝や足首にずいぶん負担がかかるはずですから。 スコット君の家の周りは豊かな緑が一面に広がり、風にそよぐ木や緑の山々と大きな青空が広がっています。長身のスコット君はトランポリンで跳躍することにより、ずいぶん向こうの方まで見通せていると思います。
お父様はこんな風におっしゃっていました。

スコットはいつも不自由に感じている。
まるで別の人間の体に間違ってとじこめられているように。
これは悲しいことだ。
スコットが自由でいられるようにしたいんだ。


引用DVD:
NHKエンタープライズ(2015)『君が僕の息子について教えてくれたこと』

うまく自分の気持ちを伝えられないこと、それは確かに別の人間の体を借りているような心地かもしれません。
そういう気持ちを家族が知った上でかかわるようになっていくと、お子さんの感じる居心地の良さは、きっとずいぶん変わっていくことでしょう。

 
表面に出てくる行動の深い底には、思いもかけなかった知らない何かがあるはず。表面だけ見てすれ違いになるのは、とても残念です。
2015/7/15  長原恵子
 
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