距離を超える祈りの力 |
アメリカの医師エベン・アレグザンダー先生は脳神経外科医として数々の手術をこなし、たくさんの学会発表を行われ、学術論文を執筆され、医学生の教育に携わっていらっしゃいました。しかし2008年11月、致死率が大変高いと言われる大腸菌性髄膜炎に倒れてしまったのです。
昏睡状態に陥り7日間、もはや回復が絶望視され、死が近付いていた時、アレグザンダー先生は、臨死体験をされました。
化学と医学を学び「情緒的な感傷家タイプではない」「妄想と現実の違いはわきまえている」とご自分を表現されるように、アレグザンダー先生は医学者として事実を十分に観察し、そこから考えを広げていくことを基本にされていました。ですからご自分の臨死体験を、脳神経学的にどのように説明づけられるのか、実に様々な角度から検討されました。
しかしながら、その体験が脳のダメージによって引き起こされた幻覚、妄想、虚構などではなく、リアルな事実であったことを確信し、体験を伝えることに使命と責任を感じられて、『Proof of Heaven』を執筆、上梓されたのです。
臨死体験の中でアレグザンダー先生は、闇の中に光を見つけ、上昇し、そこで蝶の羽に乗った女性(守護天使)※と共に過ごし、学びを深めていきます。天国の門のところで入れないことを悟ったのだそうです。
※この女性は臨死体験の最中にはまったくどなたか、わからなかったそうですが、あとで回復されてから、会ったことのない実妹で臨死体験の10年前に亡くなられていた方であることがわかったのだそうです。、 |
私は悲嘆に暮れ、悲しみを募らせてますます暗い気持ちになり、その気持ちは“実際”に降下する”というかたちをとって体験されることになった。
巨大な雲を抜けながら、私は下へ向かい続けた。周囲のあちこちからくぐもった声が聞こえてくる。何を言っているのか言葉は理解できなかった。
気がつくと無数の存在が私の周りで弧を描くように跪いていて、その列の連なりが遠いかなたまで続いていた。視覚でとらえたのか知覚で感じ取ったのかは判然としないが、階層をなして頭上と下方の闇の果てまで広がっていたあの存在たちがしていたことが、後で振り返ったときにわかった。
私のために祈っていたのだ。
後になって気がついたことだが、その中にはマイケル・サリバンとその夫人ペイジの顔もあった。(略)マイケルは物理的にも、集中治療室で何度も私のために祈ってくれていたのだ。(ペイジは病室には来ていなかったが、祈りを捧げてくれていた)。
祈りは私に力を与えてくれた。深い悲しみに沈みながらも何も心配はいらないという不思議な安心感があったのは、そのおかげだったのだろう。
私を囲んでいたあの存在たちは、私が移行の過程にあることを承知していて、励ますように祈ったり歌ったりしてくれていたのだ。向かっている先は未知の場所だったにもかかわらず、その頃私にはすでに、必ず支えてもらえるという全面的な信頼感があった。
引用文献:
エベン・アレグザンダー著, 白川貴子(2013)
『プルーフ・オブ・ヘヴン 脳神経外科医が見た死後の世界』
早川書房, pp.134-135 |
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「祈りは届いているのだろうかいるのか」「祈りは効力を持っているのだろうか…」と、不安になったり、疑問に思うこともあるでしょう。
アレグザンダー先生は死の一歩手前で現世に戻ってきたわけですが、このお話を読むとまさに亡くなろうとしている瞬間に「祈り」とは、どんなに大きな力を持っているか、知ることができます。そして、祈りは距離に隔てられるものではないこともわかりますね。
お子さんが亡くなる時、そばにいることができなかったご両親、とても悔やんでいることでしょう。お子さんの危篤の知らせを受けて、急いで駆け付けたけど間に合わなかったという方。悔やんでも、悔やみきれない気持ちでいっぱいかもしれません。お子さんの最期を見とどけられなかったことが、あなたの心の中に欠けた思いを生みだしているかもしれません。
でもあなたの愛情、祈りは、しっかりとお子さんへ届き、お子さんを抱きしめているが如くに守っているのです。
お子さんのそばにいても、そばにいなくても、祈りの力は同じようにお子さんに届いているのです。
そうわかると、本当に嬉しい気持ちになります。
それと同時に、亡くなる過程は何もかも消滅することを示すのではなく、その過程において存在し続ける何かがあるということが、次のアレグザンダー先生の言葉にも表れています。 |
永遠の霊的自己がこの物質世界で見えているもの以上に
現実のもの
引用文献:
前掲書, p.186 |
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あなたの祈りがお子さんに、今日もしっかりと届いているのですから、心配しなくても大丈夫。 |
2014/7/10 長原恵子 |
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