幸せに天使として過ごしていた娘 |
お子さんを亡くした後、何年も何年も悲しみに暮れ、悔やみ続けている親御さんがいらっしゃいます。どんなに周りの方が慰めや励ましの言葉をかけても、その方の心の奥には、なかなか届きません。お子さんの死が撤回され、お子さんが生き返ることがない限り、自分の気持ちが晴れることはない…そう思うことは、当然だろうと思います。
でも、そのようなあなたをお子さんはずっと見続けていたとしたら…今日は、脳性麻痺だったお嬢さんを20歳の時に亡くされ、悲しみに暮れていたお父様が、お嬢さんの死の6年後、お嬢さんの愛情をしっかり感じ取ることのできた経験をご紹介したいと思います。
それはアメリカの脳外科医エベン・アレグザンダー先生に寄せられた、お手紙の中のお話となります。アレグザンダー先生についてはこちらで取り上げたことがありましたが、細菌性髄膜炎により、2008年11月、臨死体験を経験された医師です。ご自分の臨死体験以後、アレグザンダー先生は、死後の世界の存在について、強く確信を持たれるようになった方です。
|
アレグザンダー先生
娘のへザーは1969年に、重度の脳性小児まひを患って生まれてきました。身体を起こすことも、話すこともてきませんでしたが、周リのことすへてに興味を示し、笑い声もあげていました。ほんとうによく笑っていたものです。長く生きられても12歳くらいまでだろうと言われていたのですが、娘は20歳まで生きて1989年に亡くなリました。
息を引き取った次の目、娘の死を頭から追い払いたくて庭で芝刈リをしていると、どこからともなくやってきたオオカバマダラの群れが私を取り囲むように舞い飛んでいました。あれは霊的になにか意味のあるできことだったのでしょうか。
私にはわかリません。
引用文献:
エベン・アレグザンダー, トレミー・トンプキンズ著, 白川貴子訳(2015)『マップ・オブ・ヘヴン―あなたのなかに眠る「天国」の記憶』早川書房, p.141
|
|
悲しみがいっぱいで、気を紛らわそうと忙しく仕事をしようとしたお父様の気持ちは、きっと多くの方も共感されるところだと思います。「オオカバマダラ」とは黒い縁取りでオレンジ色の羽模様は、まるで美しいステンドグラスのようなチョウです。その美しチョウが群れを成して自分を目指して舞い飛んできたら、何か意味を感じずにはいられませんね。
そのお父様は次のように、お手紙を続けられています。 |
話を先へ進めて1995年に飛びますが、ベッドに入っても自が冴えたまま、「神さま、どうしてあなたは私にこんな不幸な仕打ちをなさるのですか」と胸のうちで問いかけたときのことでした。
そう考えると同時に、寝室の左手の隅に真っ白に光っている人影が現れたのてす。それは娘に違いあリませんでした。
娘は私を指さしながら「パパ、違うわ。そんなことはないのよ、あれをみて!」と言い、右手を指し示しました。
そちらを見ると、まぶしい白い光が雲のように渦を巻いているのが目に入り、光はたちまちにして部屋中を埋め尽くしました。ことばによる説明はなかったものの、その瞬間にいくつかのことがはっきりと腑に落ちたのがわかりました。
そのときに味わった至福の境地は、とても言葉になりません。娘は神さまの天使になって幸せにしていることがわかったのです。残された私たちも、死後の心配などしなくてもいいこともわかりました。
造物主の偉大さに比べれば、人間が理解していることは笑ってしまうほどちっぽけなものでしかないことも。あれは確かにほんとうに起きたことだと思っています。ですから、「神を信じていますか」と聞く人があれば、こう答えています。
「信じているだけじゃあリません、いささかも疑わずに神は存在することを知っているんですから」と。
引用文献:前掲書, pp.141-142
|
|
どのように重い病気、不自由な生活があったとしても、亡くなった後の世界では、どなたも元気に身軽になって過ごすことが出来ると言われています。このお手紙の主のお嬢さんも、そうであるように。
そして生前、たとえ重度の脳性麻痺であったとしても、この世に遺してきた家族のことを思い、どうか元気を出して、この世の人生を全うしてほしいと願う優しさや深い慈しみの感情をあちらの世界で発揮しているって、すごいことだなあと思います。
そして同時に、人間のこの世の生は、どんなに周囲の人から「大変ですね」と心を寄せられるような境遇であったとしても、死後の世界において、必ず報われる機会が訪れる、ということでもありますね。
神様がいるか、いないか、そうした考えは人それぞれではあるけれど、人智の理解や解釈では到底及ばないような、何か偉大なエネルギーによって、そうしたことが可能にされているのではないかなあ。 |
|
|
生前のお子さんの病気の重さに関わらず、今は健やかさと自由を取り戻し、慈しみの心であなたを見守っていることを、お忘れなく。 |
2016/2/17 長原恵子 |