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病気と一緒に生きていくこと |
心を鼓舞する選択と行動が生み出す新たな力
濃化異骨症と共に生きたアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック |
今日はフランスの画家アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックについて第3回目となります。彼の生きた時代、19世紀末から20世紀初頭は当然インターネット等ない時代でした。筆まめだったロートレックは自筆でたくさんの手紙を書き、郵便で送り、遠く離れた友人と連絡を取り合って交友を深めていました。手紙の中に自分で描いた絵を同封していたこともありました。今日はその絵の中から2度の骨折の療養中(※1)に送った2枚の馬車の絵をきっかけに、長く病気の生活を送る上での気持ちの在り様と工夫について考えてみたいと思います。
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■友人シャルル・カステルボンに送った馬車の絵
ロートレックは1878年5月、左大腿骨を骨折した後、友人シャルル・カステルボンに自分の骨折を知らせる手紙と共に絵を送りました。それは左方向に向かって1頭の馬が無蓋の四輪馬車を引く水彩画でした(※2)。カステルボンはロートレックがその前年、療養滞在していたアメリ=レ=バンで出会った少年で、彼もまた足が不自由だったのでした(※3)。
茶色の馬が左前足を大きく前方に大きく繰り出し、軽快に走りを進めている様子が伝わってきます。馬の手綱を握っている男性は背筋をすっと伸ばし、茶のスーツに黒い山高帽をかぶっっています。後方席に座っている男性は馭者よりもう少し細長く高い黒い帽子をかぶり、黒の上着に赤い襟元で金ボタン、白いズボンを身にまとっています。少し後方に向かって上半身を反らし、馬車の進むスピードとバランスをとっているかのようです。
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■友人エティエンヌ・ドゥヴィスムに送った馬車の絵
もう1枚は右大腿骨を骨折した後、エティエンヌ・ドゥヴィスム宛ての書簡に同封されていた水彩画です。こちらも同じく左方向に向かって走る無蓋の馬車が描かれていました(※4)。ドゥヴィスムもまた、松葉杖が必要な少年でした(※5)。こちら(※6)でも紹介したようにロートレックはドゥヴィスムに対して深い信頼を寄せていましたが、この絵が同封されていた手紙にも飾り立てることのない正直な気持ちが綴られていました。君は僕がどんなテーマでも上手に描けると思っているかもしれないけれど、まあ確かに馬や水夫の絵は得意ではあるけれど、でも実は風景画はまったく思うようには表現できず、地中海はあまりに美しすぎて自分の手に負えず、樹木にいたっては自分が描くとまるでほうれん草のように見えてしまう(※7)、といった内幕を言葉にしていました。だからこそここに同封された馬車の絵は、彼にとっても渾身の作であったと言えるでしょう。
ドゥヴィスムに宛てたこの絵は1879-1880年に描かれたもので「ニースのデ・ザングデ遊歩道」(※8)と題して紹介している本もあります。療養先のニースの様子を描いたものでしょうか。
この絵の中では黒毛の馬が2頭、無蓋の馬車を引き、馭者は青いドレスにグレーのベスト、黒い帽子をかぶった金髪の女性です。2頭の内、手前の馬は右前足の膝を折り曲げて高く垂直に上げ、左右の後ろ足は小さく縮まってしまい、首をのけぞるようにしています。馭者は急に手綱を強く引き寄せたのでしょうか。それでも落ち着き払った様子です。馬車の大半を占めるスペースは馭者の座席であり、後方の車輪からはみ出た位置に男性が1人腰かけています。黒の細長い帽子をかぶり、上着は黒で襟元は赤ですがこちらは金ボタンはありません。1枚目の絵と同じく白のズボンですが、後部座席の側面に壁がないため膝下迄のブーツを履いていることがわかります。まるで騎兵隊から抜け出してきたような格好です。背もたれは無くても背筋をピンと伸ばし腕を組んで座っており凛々しい感じが伝わってきます。広い薄青の空には白い雲が浮かび、広々とした平地を進む様子は2枚の絵に共通している点です。
いくらか微細な違いはあれども同じテーマ、構図の絵をロートレックは繰り返し描き、友人に送っていたこと、それは単なる偶然ではなかったように思います。馬車に乗る人物の絵を描くそのプロセス自体に、彼は意味を見出していたのではないでしょうか。絵筆を進めながら、ロートレックは何度もその光景を脳内で想像、反復していたはずです。馬車の揺れに身を任せる心地良さ、馬の蹄が地を蹴る規則的なリズム、頬で切る風、馬車の進行と共に変わりゆく周囲の風景、そして目的地への到着……元々足の不調を抱えて長く治療を受けていたロートレックにとって、更なる2度の骨折は試練といった言葉ではとても表わしきれない重さを持っていたことでしょう。通常の骨折の治癒過程よりも随分時間がかかり、回復後も杖を必要とした歩行であったのです。そうした状況において馬車の絵を描く時間は、現実の制約から心を解き放ち、身軽になれるひとときであったのかもしれません。
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この他、友人宛ての書簡から見つかったものではありませんが、これら2点の水彩画とは雰囲気を異にする馬車の油彩画があります。ロートレックの1879年の作品として伝わる「シャンティイでの疾走」(※9)です。木立の中の道を2頭の馬がまるで宙を跳ぶが如く、勢い良く進む無蓋の四輪馬車が描かれています。馬はまるで絵の中から飛び出てくるのではないかと思う程全速力で走っており、馬の荒い鼻息や蹄が掻き上げる土埃まで蘇ってきそうな勢いです。馭者は腰を前方に強く折り曲げどうにか馬の動きを制御しようと手綱を引いているのか、手前の馬は大きく蹴り出した前足に対して不自然なほど首を垂直に立てています。後部座席の3人の男性はロートレックと従兄のルイ・パスカル、そして画家ルネ・プランストーです(※10)。プランストーはロートレックがフォンターヌ学院に編入学した頃から彼に絵を指導するようになり(※11)、ロートレックが絶大な信頼を寄せていた人物です。実際プランストーに連れられて、ロートレックはパスカルと一緒にシャンティイやオートゥイユの競馬場に何度か出掛けたことがあったようです。馬車で走る一瞬を切り取ったその作品の筆致は、時が経っても迫力が褪せることはありません。
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走る馬車の絵を描く時、実際の馬や馬車の動く様子を見る、記憶を手繰り寄せる、新たに想像する、あるいは画集を参考にする等が出発点となります。現代であれば馬車の動画を繰り返し見て、それを元に描き起こすことも可能です。しかしロートレックが生きていたのは、自宅で再生可能なビデオもインターネットの動画とも無縁の時代です。記憶と想像に頼るしかなかったからこそ、それは逆に彼の療養期間で深い意味をもたらしたのではないでしょうか。
ここで取り上げてみたい研究があります。1992年、イタリアの神経生理学者ジャコモ・リゾラッティ博士らはサル自身は何もしていなくても、他者がとったある行動を見た時、まるでそのサルが同じ行動をとったかのような神経活動がサルの脳内で起こることを発見しました(※12)。それはまるで「鏡(ミラー)」で映し出されたかのような働きであることから「ミラーニューロン」と名付けられました。
それではヒトが他者の運動を観察する場合、自己にどのような生理学的影響が起こり得るのか、オーストラリアのレイチェル・ブラウン博士による研究(※13)を見てみましょう。被検者は上体を45度ほど挙上し、両足を水平に伸ばしてしっかり支えられる心地良い安静な状態で、ある動画を見ます。それはビデオカメラを持った人物が屋外でランニングしながら撮影したものです。まず海岸沿いを3分間ウォーキングし(軽度の運動負荷)、次に16分間にわたりランニングで丘を駆け上り、階段を上り下りし、崖の上まで走り(中等度の運動負荷)、最後に3分間海を見渡して休憩をとる、という流れです。ランナーは自分の身体の前にビデオカメラを掲げて撮影しており、もちろんランナーや周囲環境の音声も含まれています。本人目線の視覚情報と臨場感あふれる音声を合わせて大画面で見る間、被検者は筋交感神経活動(MSNA:総腓骨神経に挿入された微小電極を介して測定されたもの)、心拍数、血圧、呼吸、発汗、皮膚血流が連続記録されました。その結果、被検者の各種数値はランナーの動きに追随するかのように上昇・下降が見られ、特にランニング中の場面では被検者のMSNA振幅、呼吸数、皮膚血流量が大きな上昇幅を示しました。つまり自分ではない誰かの運動を安静下で見ただけであったとしても、見ている人の身体には運動しているかのような生理学的変化が生じていたのです。もし動画の中でランナーが無機質な体育館をただひたすら20分間何周も走っていたとしたら、どうだったでしょうか。被検者に今回と同じような結果が生じていたとは考えにくいように思います。丘、崖、海、水平線といった変わりゆく自然の光景の中にランナーが身を置くことで、被検者の意識はその場面に引き込まれ、ゴールにたどり着いた達成感や爽快感さえも疑似体験できたのではないかと想像します。自分が関心を強く寄せられる対象であれば、脳内の疑似体験による本人の変化がより強く引き起こされることが期待されます。それが自分の心を鼓舞できるものになれば、とても良いですね。
この研究では動画を見ること=疑似体験だと言えますが、療養中のロートレックにとって馬車の絵を描くために「記憶を反芻する」「記憶を元に想像を膨らませる」ことが疑似体験に相当するのだと思います。繰り返し馬車の絵を描くことで脳内の疑似体験が積み重なり、室内にいても馬車で出掛けているが如く、気持ちの高揚が生み出されるわけです。ともすると漫然と過ごすことになりがちな自分の気持ちに、喝を入れるに等しかったのではないでしょうか。改めてロートレックとは能動的に病と共に生きた人物であるとしみじみ思います。
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最後にたとえ病気によって身体的な制約があったとしても、心は自由であり続ける例として、江戸時代の俳人 松尾芭蕉の句を紹介したいと思います。芭蕉は元禄7(1694)年10月8日、次の句を詠みました。
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ひどく体調を崩して床に臥せていた芭蕉でしたが、その日の夜遅くこの歌を詠み、弟子の各務支考(蕉門十哲の一人)を呼び「なをかけ廻る
夢心」とどちらが良いだろうかと尋ねています(※15)。亡くなる4日前の出来事でした。「かけ廻る」と称する芭蕉の「夢」「夢心」は「魂」と読み替えても意味を成すと言えます。病が人の心から自由や可能性までも奪うものではない……それは時代を超え、洋の東西を問わないものだと改めて感じられます。
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引用文献: |
※1 |
Lana-Peaceエッセイ「療養中の出会いで得た内省と成長ー濃化異骨症と共に生きたアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック」長原恵子 |
※2 |
「無蓋の四輪馬車」(水彩画, 1878年)
曽根元吉訳, フィリップ・ユイスマン,
M.G.ドルチュ共著[他](1965)『ロートレックによるロートレック』美術出版社, p.25 |
※3 |
Julia Frey(1994) Toulouse-Lautrec : a life, New York,
Viking Penguin, p.105 |
※4 |
「無蓋の四輪馬車」(水彩画, 1879-1880年)
前掲書2, p.30 |
※5 |
前掲書3, p.105 |
※6 |
前掲ウェブサイト1 |
※7 |
前掲書3, p.112 |
※8 |
「ニースのデ・ザングデ遊歩道」(水彩画, 1879-1880年)
アンリ・ペリュショ著, 千葉順訳(1979)『ロートレックの生涯』講談社, p.58 |
※9 |
「シャンティイでの疾走」(油彩画,
47×58 cm, 1879年)
前掲書2, pp.34-35 |
※10 |
前掲書2, p.35 |
※11 |
Lana-Peaceエッセイ「逆境の中で伸びやかに成長していくにはー濃化異骨症と共に生きたアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック」長原恵子 |
※12 |
G. di Pellegrino, L. Fadiga, L. Fogassi, V. Gallese,
G. Rizzolatti (1992) Understanding motor events: a
neurophysiological study, Experimental Brain Research,
91, pp.176-180 |
※13 |
Rachael Brown, Ursula Kemp, and Vaughan Macefield (2013) Increases in muscle sympathetic nerve activity, heart rate,
respiration, and skin blood flow during passive viewing of exercise,
Frontiers in Neuroscience, volume 7, article 102, pp.1-6 |
※14 |
各務支考編,
小澤武二校訂(1926)『笈日記』俳人叢書 第4編, 春陽堂, p.25(国会図書館デジタルコレクション,
19/99コマ) |
※15 |
前掲書14, p.25(国会図書館デジタルコレクション,
19/99コマ) |
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たとえどんな環境下であっても、自分の選択と行動により流れを変え、新しい風を呼び込むことは、病気と共存していく上で必要な心の耐性、新たな力を少しずつ生み出していくのだと思います。 |
2022/8/4 長原恵子 |
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