垣ノ島A遺跡出土 足形・手形付土製品
(北海道函館市 蔵) |
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品名: |
足形・手形付土製品 |
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出土: |
北海道函館市 垣ノ島A遺跡 |
時代: |
縄文時代早期末, 約6,500年前 |
所蔵先: |
北海道・函館市 |
展示会場: |
2018/5 函館市縄文文化交流センター 常設展
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北海道の函館駅前を起点に茅部郡森町までを結ぶ国道278号線、こちらの整備事業の前に行われた調査をきっかけに、その存在が明らかになった函館市の垣ノ島遺跡について、今日は取り上げたいと思います。
平成12(2000)年から函館市臼尻町の垣ノ島川が流れる海岸段丘で緊急調査が始まりました。垣ノ島遺跡は垣ノ島川を挟んで左岸を垣ノ島A遺跡、右岸を垣ノ島B遺跡とされていますが、垣ノ島A遺跡からは竪穴建物跡37件、墓を含む土坑730基が確認され、縄文早期末葉のお墓から17点の足形付土版が出土したのです。
土版は4基の土坑墓から見つかりました。土坑墓P-181から10枚、P-325から3枚、P-330から3枚、そしてP-409から1枚です。函館市縄文文化交流センターにはその複製品が展示されていました。センター出入り口のある2階から展示ルームを巡り、1階へと降りると、展示室3の手前右手に垣ノ島A遺跡出土の土版がずらりと並んでいます。当日の展示品は複製とはいえ、とても圧倒されました。どの土版も元はこどもの命を慈しんで作られたものですから……。順を追って見ていきたいと思います。 |
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【土坑墓P-181】
P-181の土坑墓は大きさが5.4×4.7m、下の図のような楕円形です。12畳のお部屋よりもまだ広い、ということですね。土坑の深さは0.8mあり、平坦な床面から緩やかに立ち上がった壁面が築かれていました。報告書の図を利用して、こちらで番号をわかりやすく示してみました(図1)。赤字の番号は土版の出土位置です。土版の近くには柱穴が確認されており、ちょうど時計の12時、3時の位置に1箇所ずつ、7、8時の位置に5箇所見つかっています。柱はどんな風に使われていたのでしょうか? たとえば飾りが吊り下げられていたとか? 埋葬された本人に関わる人骨や着衣の痕跡となる遺物は出土していませんが、埋葬を終えた後は土坑墓の上に土がかけられていたはずですから、土の下に大事なものがあるよ、という目印のために柱を立てたのかもしれません。また、柱の位置関係から勝手に想像を膨らませてみると、柱は結界を作るというか、聖域を示す役割があったようにも思います。12、3時の位置にあった2本の柱を線で結ぶと、それは7、8時の位置にある5本の柱のグループと対峙するかのようです。12、3時の位置の柱によって鳥居のようなゲートが作られていたのでは?そしてゲートをくぐって南西へ進むと壁側に設けられた3本の柱と、その手前の2本の柱によって祭壇が組まれていたように思うのです。つまり土版はそうした特別な意味のある場所のそばに埋められていた、という考えです。
土坑墓の中央は特に遺物の出土はなかったのですが、ここは大人もこどもも複数の人数が仰向けで埋葬されても、あるいは屈葬として埋葬されたとしても、十分なスペースだと言えます。垣ノ島A遺跡内の他の土坑と比べ、広さや副葬品などの点からも群を抜いていると思われるこちらの土坑は、当時の権力者の家族のお墓だったのかもしれません。 |
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10枚の土版は表面に足形(指跡)がはっきり確認できるものもあれば、不明瞭なものもあります。足形も片足であったり、両足であったり、と様々です。裏面にはその足形をとった時、土版を押し当てた人の手形が残っているものもあります。また土版の土台は装飾のないものもあれば、斜めの線の模様がつけられたものもあります。いずれの土版の足形、踵側に1、2箇所の穴が開けられています。これらを吊り下げたのであれば、土版の足形はどれも、爪先側が地面に向いていたということですね。 |
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土版1 (P-181 報告書整理番号1)
土版の大きさ:11. 0 ×8.0×1.2cm
表面:長さ6.9cmの右足の足形あり |
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土版2 (P-181 報告書整理番号2)
土版の大きさ:13.7×10.0×1.9
表面:長さ9.4cmの両足の足形あり
7点のつまみ付きナイフを伴っていました。 |
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こちらは北海道環境生活部の作成した『カックウと学ぶ北の縄文世界』に掲載されていた写真です。この写真について特に詳細情報は記載されていなかったのですが、土版の形態及び7枚のつまみ付ナイフから、土版2を撮影した写真だと思います。 |
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土版3 (P-181 報告書整理番号3)
土版の大きさ:14.0×9.7×1.3cm
表面:左足の足指先の形あり(踵などは輪郭不明瞭)
土版3は他の2枚と3枚重なった状態で出土しました。
一番下が土版3、真ん中が土版7、一番上が土版8です。この重なりは兄弟姉妹など血縁を示すのでしょうか? |
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土版4 (P-181 報告書整理番号4)
土版の大きさ:13.6×10. 7×1.7cm
表面:長さ9.4cmの左足の足形あり
裏面:左手形あり
この土版のそばからは3つのつまみ付きナイフが出土しましたが、赤色チャートのつまみ付ナイフ(出土番号25)の両側に白色チャートのつまみ付ナイフ(出土番号26・27)が配置するように出土しています。つまり白・赤・白の順番ということですね。美的な感覚による配置なのでしょうか? それとも色と順番に何かの意味が託されていたのでしょうか? |
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土版5 (P-181 報告書整理番号)
土版の大きさ:13.5×10.2 ×1.6cm
表面:長さ10.7cmの左足の足形あり
尖頭器2点とつまみ付きナイフ1点を伴って出土しました。 |
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土版6 (P-181 報告書整理番号6)
土版の大きさ:14.8×11.0 ×2.1cm
表面:長さ11.7 cmの左足の足形あり
裏面:手指(?)の痕跡あり |
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土版7 (P-181 報告書整理番号7)
土版の大きさ:16.9×13.4×1.8cm
表面:長さ10.9cmの右足の足形のほか、足形を押圧した際に付いたと思われる指の痕跡が認められたそうです。3枚重なって出土した土版のうち、中央にありました。 |
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土版8 (P-181 報告書整理番号8)
土版の大きさ:13.4×11.8 ×1.5cm
表面:長さ8.8cmの両足の足形あり
裏面:指先が穴方向に向けられた右手の手形あり
3枚重なって出土した土版のうち、一番上から出土しました。 |
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土版9 (P-181 報告書整理番号9)
土版の大きさ:17.0×14.2×2.3cm
3枚重なった土版のそばから出土しましたが、未焼成のままの出土でした。表面は手作りクッキーのようなぼこぼこした感じが残っています。土版上部の白抜きの部分は木の根により損傷していたそうですが、その横に連続した楕円が3つ見えます。これがこどもの足指の跡でしょうか? |
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土版10 (P-181 報告書整理番号10)
土版の大きさ:14.1×12.4×2.0cm
表面:長さ7.5cmの両足の足形
土版のそばに三つの尖頭器が放射状に配置されていました。黒色頁岩製の両側に白チャート製の尖頭器が一つずつ、という形です。土版4は白・赤・白の順でしたが、こちらは白・黒・白の順です。 |
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土坑墓P-181の中心からやや南に下った辺り、土版2と9の間に東釧路IV式併行に相当する浅鉢(整理番号11)が伏せられた状態で出土しました。更にその近くに焼骨片や炭化材が出土しました。骨片が何の生物由来であるのか報告書には記載されていません。 |
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先に書いたように南西の5本の柱によって祭壇が組まれていたのであれば、その手前で何か火を燃やす儀式が執り行われたとも考えられます。 |
【土坑墓P-325】
土坑墓P-325は土坑墓P-330を切って造られたもので、楕円形を呈すると考えられています。ここからは3点の足形付土版が出土しました。 |
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土版11 (P-325 報告書整理番号1)
土版の大きさ:幅9.5×厚さ2.0cm
こちらは割れて上半分が欠損していました。足形などは不明です。 |
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土版12 (P-325 報告書整理番号2)
土版の大きさ:12.1×9.9×2.6cm
表面:長さ7.2cmの両足の足形あり 裏面:両手の手形あり
壁際の坑底から出土しました。小さいけれども大変鮮明な足指の跡は、きっと大人が両足を揃えたこどもの足首を持ってしっかりと土版に押し当てたのだろうと思います。 |
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土版13(P-325 報告書整理番号3)
土版の大きさ:15.0×11.1×3.6(cm)
表面:長さ8.5cmの両足の足形あり
裏面:両手の手形あり
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土坑の 壁際から出土したこの土版は垣ノ島A遺跡出土の土版全17枚の中で最も厚く、厚さは3.6cmもありました。これだけしっかりした作りの土台であるため、土版に押し当てたこどもの足指の上から、大人がぎゅっと力を強くかけても、土版の形全体がきれいに保てているのかもしれません。
厚さの部分にも点線の斜めの模様が施されています。丁寧に時間をかけて作られたことが伝わってきます。 |
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【土坑墓P-330】
大きさは2.5×2.5m、深さ0.8mの土坑墓で3点の足形付土版の他、尖頭器やつまみ付きナイフ、擦石、メノウの原石も出土しました。 |
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土版14(P-330 報告書整理番号1)
土版の大きさ:10.2×9.5×2.0cm
足形はありません。楕円形、長方形の土版の破片というよりも、元々円形の形として作られたものが、一部欠けたように思います。この土版の裏面に密着した状態で、擦切技法で作られた石ノミが出土しました。 |
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土版15(P-330 報告書整理番号2)
土版の大きさ:11.9×9.0×1.1cm
表面:長さ9.2cmの左足の足形あり |
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土版16(P-330 報告書整理番号3)
土版の大きさ:13.6×10.1×2.0cm
表面:先端部に僅かに指の痕跡があるが、足形輪郭は不明瞭 |
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【土坑墓P-409】
これは土坑墓P-181を切って造られた土坑墓で、全体の形は楕円形と考えられています。足形付土版が1点出土しました。 |
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土版17(P-409 報告書整理番号1)
土版の大きさ:17.0×12.4×2.1cm
表面:両足の踵の輪郭が見られる |
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図21:土坑墓P-409 土版1 線描図 |
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足形付土版はこちらでも取り上げたように、こどもの誕生を記念する、あるいはこどもの死を悼んで家族が作ったと考えられているものです。縄文時代の人々にとって土版作りとはこどもとのつながりや思い出を残すための大切な手段だったのだろうと思います。土坑墓の中からは人骨は見つかっていないものの、こうして6,500年前経っても土版の中に息づく足形。それは永遠の生の象徴のように思います。 |
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また垣ノ島A遺跡の場合、土版に伴う副葬品もその道具の使い道や色、そして配置の順番などに秘められたストーリーがいろいろありそうです。当時の人々の精神性、世界観をますます知りたくなってきます。 |
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土版と直接の関係はありませんが、垣ノ島A遺跡出土の遺物から1つご紹介いたします。上記の17枚の土版は縄文時代の中でも「早期末」の土坑墓から出土したものですが、垣ノ島A遺跡は非常に長く人々が定住した場所でした。縄文時代晩期までの痕跡が認められ、美意識の高い人々であったことがうかがえる遺物が出土しています。下の写真は約3,200年前、縄文時代後期末の竪穴住居跡の床面から出土した注口土器です。 |
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高さ12cmのこちらの注口土器は、黒漆の上に赤漆が塗られていました。形も模様も品があり、大変美しい土器です。土器の中央に大きくお花をあしらったかのように見えますが、何かの象徴かもしれませんね。中心円から何かパワーが四方八方へと広がっていくことを表しているかのようにも見えますし、見方によっては磁力線を表現したかのようにも見えます。再生・蘇生を意味すると言われる赤い色、紫外線以外の刺激に強い耐性を示す漆、そしてこのデザイン、それらを複合して考えてみるとこの土器から注がれる液体に、人々はきっと特別な意味を感じていたことでしょう。垣ノ島A遺跡の住人達はものを作ることを通して何か願いを託したり、特別な意味を表現することに長けていたのかもしれません。 |
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<参考ウェブサイト・参考文献・資料> |
※1 |
函館市教育委員会 編(2017)『史跡垣ノ島遺跡』. 函館市教育委員会 |
※2 |
南茅部町埋蔵文化財調査団(2004)『垣ノ島A遺跡 (南茅部町埋蔵文化財調査団報告書 ; 第11輯)』 |
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<図> |
図1 |
垣ノ島A遺跡 土坑墓P-181 出土品配置図,
参考文献2, p.181(番号を拡大・太字・土版は赤字表記して改変) |
図2 |
土坑墓P-181 土版 線描図1(参考文献2, p.183) |
図3 |
土坑墓P-181 土版 線描図2(参考文献2, p.183) |
図4 |
土坑墓P-181 土版 線描図3(参考文献2, p.183) |
図5 |
土坑墓P-181 土版 線描図4(参考文献2, p.183) |
図6 |
土坑墓P-181 土版 線描図5(参考文献2, p.183) |
図7 |
土坑墓P-181 土版 線描図6(参考文献2, p.183) |
図8 |
土坑墓P-181 土版 線描図7(参考文献2, p.184) |
図9 |
土坑墓P-181 土版 線描図8(参考文献2, p.184) |
図10 |
土坑墓P-181 土版 線描図9(参考文献2, p.184) |
図11 |
土坑墓P-181 土版 線描図10(参考文献2, p.184) |
図12 |
土坑墓P-181 焼骨片(参考文献2, p.182) |
図13 |
土坑墓P-325 出土品配置図
参考文献2, p.195(土版番号を拡大・太字・赤字表記して改変) |
図14 |
土坑墓P-325 土版 線描図1(参考文献2, p.195) |
図15 |
土坑墓P-325 土版 線描図2(参考文献2, p.195) |
図16 |
土坑墓P-325 土版 線描図3(参考文献2, p.195) |
図17 |
土坑墓P-330 出土品配置図参考文献2, p.196(土版番号を拡大・太字・赤字表記して改変) |
図18 |
土坑墓P-330 土版 線描図1(参考文献2, p.196) |
図19 |
土坑墓P-330 土版 線描図2(参考文献2, p.196) |
図20 |
土坑墓P-330 土版 線描図3(参考文献2, p.197) |
図21 |
土坑墓P-409 出土品配置図
(参考文献2, p.203(土版番号を拡大・太字・赤字表記して改変) |
図22 |
土坑墓P-409 土版 線描図(参考文献2, p.203) |
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<引用写真> |
写真1 |
垣ノ島A遺跡 足形付土版(※) |
写真2 |
垣ノ島A遺跡土坑墓P-181出土 土版(参考文献2, 写真図版V層調査出土足形付土版(表面)1,3) |
写真3 |
土版とつまみ付ナイフ
北海道環境生活部くらし安全局道民活動文化振興課縄文世界遺産推進室 編(2012)『カックウと学ぶ北の縄文世界』, p.13 |
写真4 |
垣ノ島A遺跡土坑墓P-325出土 土版3点(参考文献2, 写真図版V層調査出土足形付土版(表面)3) |
写真5 |
垣ノ島A遺跡土坑墓P-325出土 土版(複製)(※) |
写真6 |
垣ノ島A遺跡土坑墓P-330出土 土版3点(参考文献2,写真図版V層調査出土足形付土版(表面)3) |
写真7 |
垣ノ島A遺跡土坑墓P-409出土 土版1点(参考文献2, 写真図版V層調査出土足形付土版(表面)3) |
写真8 |
垣ノ島A遺跡出土 赤漆塗り注口土器(複製) (※) |
写真9 |
垣ノ島A遺跡出土 赤漆塗り注口土器(複製)拡大図 (※) |
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※函館市縄文文化交流センター展示物, 2018/5 当方撮影 |
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2018/10/4 長原恵子 |