甕棺土器
(北海道函館市 蔵) |
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品名: |
甕棺土器 |
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数量: |
1個 |
出土: |
北海道函館市 石倉貝塚出土 |
時代: |
縄文時代後期 |
所蔵先: |
北海道函館市 |
展示会場: |
2018/5 函館空港3Fオープンフロア |
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2018年5月、函館空港を利用した際、出発手荷物検査ゲート前の長蛇の列に並んでいると、ふと見上げたところに「函館空港遺跡群」の横断幕が。慌てて3階のオープンスペースに行ってみると、そこには同遺跡群から出土した遺物と解説パネルが設置されていました。
函館空港は函館山から東に約15km、海岸に沿った段丘上にありますが、こちら昭和40年代、滑走路延長工事が行われた際に先史時代の遺跡が発見され、函館空港遺跡群のうち13カ所の発掘調査が順次始まりました。たくさんの遺跡群の上を飛行機が離発着しているということですね。 |
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写真1, 2 函館空港 |
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その展示の中でひときわ目を引く美しい壺がありました。石倉貝塚の出土品「甕棺土器」です。石倉貝塚は図1に示した通り、函館空港遺跡群の中でも東端、滑走路から外れたところにあります。
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図1 函館空港遺跡群(会場展示パネル写真を元に当方作図)
1:函館空港第1地点遺跡, 2:函館空港第2地点遺跡, 3:函館空港第3地点遺跡
4:函館空港第4地点遺跡, 5:函館空港第5地点遺跡, 6:函館空港第6地点遺跡
7:函館空港第7地点遺跡, 8:函館空港第8地点遺跡, 9:函館空港第9地点遺跡
10:函館空港第10地点遺跡, 瀬:瀬戸川1遺跡, 中A:中野A遺跡, 中B:中野B遺跡
石倉貝塚
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石倉貝塚は平成6(1994)年から8(1996)年にかけて発掘調査(※1)が行われました。その結果、とても大きな環状の盛土に囲まれた配石遺構や土壙の存在が明らかになったのです。盛土は直径約80m。25mプールを3個横に並んでも、まだ足りないくらいの直径だと思うと、この盛土に囲まれた空間がいかに大規模で、多くの力を集めて作られた場所かがわかります。 |
盛土の内側は、一段低く整地された広場となり、柱穴や配石等が密集していました。その数、柱穴は数千個、配石は大小数百個 (※2)と言いますから、驚きです。そしてその更に内側にはお墓とみられる8基の土坑 (※3)が見つかりました。 |
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これらの結果から石倉貝塚は集落から離れた位置にある縄文後期初頭の集団墓地を中心とする祭祀の場所 (※4)と考えられています。
十腰内I式土器と考えられているこの甕棺土器は、あたたかみのある雰囲気で、表面に美しい直線、曲線の模様が彫り出されています。展示品のそばに詳しい解説は添えられていなかったのですが、函館市地域資料アーカイブを参照してみると、石倉貝塚から出土した壺型土器は小児骨を入れた甕棺(かめかん)と思われるものも存在する (※5)と書かれてありました。
展示品も「甕棺土器」と名付けられていることから、きっと幼いこどもの埋葬時に用いられた甕棺だったのだろうと思います。
空港での展示には含まれてはいなかったのですが、石倉貝塚からは副葬品として考えられる新潟県糸魚川産ヒスイ製の玉が3点出土しており、その写真を見ることができます(※6)。ヒスイは周囲の角が滑らかに磨きあげられ、中央に丸い穴が開いています。ヒスイのモース硬度や割れや欠けに対する抵抗力である靱性(※7)を見てみると、ヒスイのモース硬度は7で、10のダイヤモンドよりは低いものの、である靱(じん)性はヒスイが8で、7.5のダイヤモンドよりも高いとされています。加工されたものが石倉の地にもたらされたのか、この地で加工されたのかは不明ですが、当時の人々がこうして意図した場所にきれいに穴を開けることのできる加工技術の高さを持っていたとは、本当に驚きですね。亡き子のためにきれいな文様の甕棺を作り、焼成したり、遥々海を越えてきた糸魚川のヒスイ玉を手に入れて、死者と共に埋納したり、直径80mもの土地を造成し、特別な場所を作り上げた当時の人々。逝った人々の命を惜しみ、弔い、死後の世界でも安寧であるよう祈った気持ちが伝わってくるようです。 |
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<引用・参考文献, ウェブサイト> |
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<写真・図> |
写真1 |
函館空港 |
写真2 |
函館空港 |
写真3 |
石倉貝塚(展示パネル撮影) |
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図1 |
函館空港遺跡群 見取り図(当方作成) |
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2018/8/4 長原恵子 |