|
|
|
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア |
1歳のこどもを守り続けたホタテガイ
(北海道虻田郡洞爺湖町・高砂貝塚) |
|
品名: |
顔に被せられていたホタテガイ |
|
|
2019/6 北海道 入江・高砂貝塚館にて当方撮影 |
|
出土: |
北海道虻田郡洞爺湖町 高砂貝塚(G25号墳墓) |
時代: |
縄文時代晩期 |
展示会場: |
入江・高砂貝塚館(北海道虻田郡洞爺湖町) |
|
|
|
北海道虻田郡洞爺湖町の高砂貝塚はJR室蘭本線の洞爺駅から南東に約700m、噴火湾沿岸から東に400mの位置にある貝塚です。2019年6月に訪れた時、そこは散策できる公園のようにきれいに整備されていました。途中、白く見えるところが出てきましたが、こちらはホタテガイを敷き詰めた場所でした。地図としては間違いなく高砂貝塚はこの場所だったのですが、高砂貝塚の正式な解説看板などが現地で見当たりませんでした。ここから400mほど南東にある入江貝塚には保存された貝塚断面があり、貝塚敷地内には解説板が数多く点在し、竪穴住居の復元もありましたので、高砂貝塚はまだ整備途中だったのかもしれません。高砂貝塚入口付近には「縄文シティサミットINとうや湖開催記念」の像が建てられていました。 |
|
高砂貝塚は昭和25(1950)年から3年に渡り、当時、伊達高校の郷土研究部メンバーだった関根博道氏が発掘調査を行い、赤川左の舌状に張出した台地上に縄文時代の遺物が存在することを発見されました。その後、西端部でA貝塚と称された部分を昭和37(1962)年11月、札幌医科大学解剖学第二講座が調査を行ったところ、ベンガラが散布された墓壙の中から右眼窩から頬骨にかけて赤く染まった人骨(G1号)を発見したのです。そこでG1号の出土地を元に、その辺りのアスパラガス畑が更に詳しく調査されることとなりました。第一次調査として昭和38(1963)年に、更に西側と南東側にエリアを広げて昭和40(1965)年に第二次調査が行われました(※1)。その結果、いくつもの墳墓が近接した状態で構築されていただけでなく、その一隅に環状列石の存在も確認されたことから「高砂縄文人の集団が選んだ「墓前祭祀を伴う共同墓地」」(※2)と考えられるようになったのです。高砂貝塚の予備調査で見つかった墳墓はG1号の他、第一次調査で13基、第二次調査で14基、合計28基が発見されたのでした。 |
---*---*---*--- |
■1歳のこどものお墓
第二次調査で見つかったG25号墳墓は大きさが縦60cm、横45cm、深さは30cmでベンガラが散布され、北西に頭を向けた仰臥屈葬のこどもが埋葬されていました。頭蓋冠(頭蓋骨の上半分に相当する)の細片、肋骨断片、椎骨、肩甲骨及び寛骨の破片、上腕骨の一部、大腿骨、脛骨の一部が見つかりました(※3)。そして歯の萌出具合から、このこどもの年齢は1歳を少し過ぎた頃(※4)だと判明しました。 |
G25墳墓の大きさは同じく第二次調査で見つかったG16号墳墓の測定値とまったく同じでした。G16号からは仰臥屈葬の人骨の全身骨格が見つかりましたが、歯の萌出状態から3、4歳(※5)と考えられています。小さな身体の1歳のこどものお墓だからこじんまりと小さく、ではなく他の年上のこどものお墓と同じ位の大きさで築かれていたというわけです。 |
■30個の安山岩礫
G25号墳墓の上には、ほぼ円形の安山岩礫が30個置かれていました(※6)。墳墓の上に形を成してまとまって置かれていたのか、あるいは墳墓に散在していたのか、そこまでは記録に出てきませんが、G25号の特徴としてわざわざ記録に残されていたということは、偶然そこに紛れ込んでいた石であるとは考えにくいですね。
安山岩はマグマが急速に冷えてできたもので、鉄やマグネシウムをやや多く含み、日本の火山の多くは安山岩からできているそうです(※7)。そう考えてみると高砂貝塚の身近に火山がありました。高砂貝塚から3.5kmほど北東に上ったところにある洞爺湖は、11万年前に起こった巨大噴火で形成されたカルデラに水がたまったもので、当時発生した巨大火砕流は噴火湾まで流入したと言われています(※8)。また高砂貝塚から東に5kmほど行ったところにある有珠山は、2万年前に洞爺湖の南側で始まった火山活動で玄武岩や安山岩質のマグマにより誕生しましたが、8-7000年前に山頂から南西方向に大規模に山体崩壊した経緯があります(※9)。G25号墳墓に置かれていた30個の安山岩は、こうした自然背景に由来するものかもしれず、人間は大自然の中で生きている存在だと改めてしみじみ感じます。そしてその時間に注目してみると、2万年前あるいは8-7000年前の自然の産物がその後、縄文時代晩期のこどもの死を悼み弔うために使われたということですね。壮大な時の流れの中で人の一生の長さはほんの一瞬に過ぎない、といった表現がされますが、その一瞬が、遥か遠き昔の時代にしっかりとリンクしているわけです。
30個の安山岩礫の大きさは報告書内に記録は見当たりませんが「礫(れき)」とは小さな石のことを指します。G25号墳墓の縦、横の大きさから考えると、恐らく1個あたりが数cm幅の石だったのではないでしょうか。「玉」といった表現がとられていないので、表面を磨いたり、形を整えて文様を刻んだり、穴を開けるようなレベルの人為的な加工はされていないものだったのでしょう。しかし「ほぼ円形」と形容されていたので、墳墓の上に置かれていたこの石は、高砂貝塚近くの赤川の川底に流れ込んだ安山岩が水流によってだんだん角が削られ、小さく丸みを帯びたものが選び集められたのではないでしょうか。1歳のこどものために、できるだけきれいなかわいい石を選ぼうと川に入っていたのは親だったのか、兄・姉だったのか。その様子を想像すると、時を隔てた今も悲しみが伝わってくるようです。
「小さな石が30個」という点に注目すると、高砂貝塚の一次調査で見つかったG10号墳墓が似た特徴を持っています。G10号からは、緑色凝灰岩製の小玉が30個収められた壺が見つかったのでした(※10)。この話はまた別途詳しくLana-Peaceのエッセイで取り上げますが、G10号には4歳のこどもが埋葬されていました。G10号とG25号は共に縄文時代晩期(※11)の墳墓で、2つの間にどのくらい時間差があるのか詳細はわかりませんが、どちらも「幼いこどものお墓」であり「石由来のもの」が「30個」見つかったという点が共通しています。当時の人々にとってそれらの要素は、夭逝したこどもを守るための力を生み出す組み合わせだったのかもしれませんね。 |
■顔を覆ったホタテガイ
そしてページ最初に登場したホタテガイ、こちらがG25号墳墓の最大の特徴だと言えるでしょう。埋葬されていたこどもの顔に1枚のホタテガイが被せられていたのです(※12)。 |
|
このホタテガイは高砂貝塚から歩いて数分のところにある入江・高砂貝塚館に展示されていました。
ホタテガイの幅は私(成人女性)の手掌の幅だったので、10cmほどでしょうか。貝殻全体の形、そして直線と曲線の織りなす表面の様子は、驚くほどリアルに残っています。 |
|
|
こどもが仰臥屈葬で見つかったということは、人々はこどもを埋葬しようとした時に、仰向けになったこどもの顔と真正面に向き合っていたはずです。もう亡くなってしまったとわかっていても、直接顔に土をかけていく行為は、あまりに酷で、忍びないことだったでしょう。それゆえこどもの顔が十分隠れるくらいの大きさで、なおかつ美しい形状、文様のホタテガイを被せたのかもしれません。あるいは噴火湾近くに居を構えていた人々にとって、ホタテは家族みんなで食卓を囲む時の忘れられない味だったとも考えられます。埋葬されていたこどもも、ホタテを好んで一緒に食べていたのでしょうか。G25号から他に副葬品は見つかっていない点に注目すると、ホタテガイはより一層、大きな意味を持つものとなります。ホタテガイは家族団欒の思い出が詰まった象徴であり、いつも一緒にいるからね、という気持ちが込められていただろうと想像します。
土坑墓からホタテガイが見つかった例は津軽海峡を越えた青森県の古屋敷貝塚にあります(※13)が、高砂貝塚から発掘された28基の墳墓の中ではG25号墳墓1基だけでした。当時の人々が酸性の土壌は貝殻のカルシウム分が溶け出すことによって中和され、地中に埋葬された人骨が残りやすい、といった科学的な根拠を知っていたのかどうか知る由もありませんが、もしそれを経験的に知っていた場合、埋葬するこどもの顔にホタテガイを被せるという行為は、こどもの姿(骨)をいつまでも残しておきたい、と願う親心が強く反映しているようにも感じられます。 |
|
<引用文献・資料, 参考ウェブサイト> |
※1 |
三橋公平ほか(1987)『高砂貝塚 噴火湾沿岸貝塚遺跡調査報告2三橋公平教授退職記念号 』札幌医科大学解剖学第二講座, pp.7-12 |
※2 |
前掲書1, p.42 |
※3 |
前掲書1, pp.125-126 |
※4 |
前掲書1, p.125 |
※5 |
前掲書1, p.122 |
※6 |
前掲書1, p.21 |
※7 |
国立研究開発法人産業技術総合研究所 地質調査総合センター 用語解説 |
※8 |
洞爺湖有珠山ジオパーク推進協議会(2013)『洞爺湖有珠山ジオパーク ジオサイト データブック』, p.8 |
※9 |
前掲書8, p.18 |
※10 |
前掲書1, p.30 |
※11 |
北海道洞爺湖町教育委員会(2013)『入江・高砂貝塚 国指定史跡 平成24年度 洞爺湖町文化財調査報告 第8集』北海道洞爺湖町教育委員会, p.106, 表7入江・高砂貝塚検出墓坑の概要 |
※12 |
前掲書1, p.21 |
※13 |
上北町教育委員会(1986)『上北町文化財調査報告書 第2集 上北町古屋敷貝塚 2 (遺構編)』上北町教育委員会 |
|
|
<写真> |
写真1-8 |
高砂貝塚 |
写真9 |
G25号墳墓 発掘時の様子, 前掲書1, Pl. Xより引用 |
写真10 |
G25号墳墓 出土のホタテガイ |
|
写真1-8 2019/6 高砂貝塚にて当方撮影
写真11 2019/6 入江・高砂貝塚館にて当方撮影 |
|
|
|
|
|
|
初出:2019/8/31, 一部修正:2019/9/2 長原恵子 |
|
|
|
|