病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
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悲しみで心の中がふさがった時

時を大事に生きるならば

お子さんの回復を信じて、どこまでも可能な限り治療を続けたい……そう思う一方で、もうこれ以上苦しく辛い治療は受けさせたくない、本人の持つ自然な生命力に回帰させてあげたい……そうした相反する思いの狭間で葛藤し、揺れる親御さんは多いと思います。
後者を選んだご家族は、お子さんが人生を終えた時「よく頑張ったね」と声をかけたい気持ちの背後で「でも、あともうちょっと治療を続けていれば、もしかしたら……」そんな思いがふと、見え隠れするかもしれません。終着点を見つけられない不完全燃焼な思いは、自分を複雑に苦しくさせているかも…。

今日はそのようなご家族にお届けしたいメッセージをご紹介したいと思います。こどもの死ではありませんが、きっとこどもにも当てはまることが多いと思うので、取り上げたいと思います。

夫を亡くされたある女性がジョージ・アンダーソンさん(詳しくはこちらをご参照ください)のリーディングを受けた時のこと。彼女は心残りでいっぱいでした。なぜなら夫は医師であったけれども、過剰な医療を受けたくない、と拒否して亡くなっていったからです。彼は医師として、いろいろ考えるところがあったのでしょう。これまで出会ってきた様々な患者さんの旅立ちを通して、自分はどういう最期を送りたいか、を。

ジョージさんのリーディングを通して、彼は妻に次のようなメッセージを送ってきました。

「ご主人はさかんに、
『行くべき時期だった。
家族のみんなが取った処置には、まったく問題がない。
何をしても、死ぬ時期だったのだから、心を悩ませるのは
やめてほしい。どうか、心安らかになってくれ』
  と言っています」

「ありがとうございます。
でも……私はたとえチューブだらけになっても、あの人に
生きていてほしかった……」

女性の声は嗚咽にかき消される。

「ああすればよかった、こうすればよかった、と思い悩むのは
やめてくれ。
人間には生まれる時期が定められているように、死ぬ時期も
定められているんだ。今のお前には笑いが少な過ぎる。
お前を見ているといつも泣いてばかりいるな。


引用文献:
糸川 洋(2012)『トゥルー・ミディアム』Kindle版,
第三章 死別した夫婦の契りは……「笑いはとてもよい栄養」

彼は自分の人生を諦めて早々に放棄したわけではなかったのです。医師として自分の状態を誰よりもよくわかり、自分の「時」を知っていたからこそ、その「時」にふさわしい自分の過ごし方を選んだのでしょう。
こどもたちの場合は、もちろんそうした医学の専門的知識はないけれども、でもどこか直感として、何か思うところがあるかもしれません。

旧約聖書の中にこういう言葉があります。

時と永遠

日の下では、すべてに時期があり、
すべての出来事に時がある。
生むに時があり、死ぬに時がある。
(略)癒すに時がある。
崩すに時があり、建てるに時がある。(略)
泣くに時があり、笑うに時がある。
嘆くに時があり、〔喜び〕跳ねる時がある。(略)
探すに時があり、失うに時がある。(略)
戦いの時があり、やすらぎの時がある。


引用文献:
月本昭男・勝村弘也訳(1998)『旧約聖書XIII ルツ記 雅歌 コーヘレト書 哀歌 エステル記』岩波書店, pp.69-70

彼の言葉はきっと、この旧約聖書の言葉と通ずるものがあるだろうと思います。彼はジョージさんを通して、妻へ次のように言葉を続けました。

  私はこちらで学校に通っているんだ。
いやあ、こちらに来てまで学校に行かされるとは
  思わなかったよ。
  やはりこちらでも医者のようなことをやっていてな。
  まあ医者といっても、魂の医者だけど。
つまり、精神的に苦しんで死んだ人たちの面倒を見ている
わけだ。その医者の学校では、笑うことを勉強している。
笑いの重要性を勉強している。
  笑いは魂にとって、とてもよい栄養なんだよ」

「……」

「ご主人は
『人間、死んだらそれまで、死後の世界なんてない』
と思うようなタイプですか」

「ええ……それについては、特に話したことはありませんが、
自分は科学者だという自負を持っていましたから、そういう
考え方を持っていたと思います」

「死んだときに意識があって驚いたと言っています
……ご主人が飼っていた犬が死にましたか」

「はい」

「その犬があちらにいたので、安心してついて行ったら、
光の中に入れたと言っています」

「まあ……そうですか」

「死んだ飼い犬が出迎えることはよくあるんです。
人間不信に陥っている人でも、可愛がっていた犬の姿を見る
と、こいつが危害を加えるわけはない、と安心するんですね」

「なるほど……
あのう……なんとか主人を延命させる方法はなかったんで
しょうか。あまり主人の言うなりにし過ぎて、早死にさせて
しまったんじゃないでしょうか」。

女性が泣きながらジョージに尋ねる。

「『何度も言うが、死ぬ時期だったんだ。
どんな治療をしても意味がなかったんだ。
あれでよかったんだよ。どうか、心を安らかにしておくれ』
と言っています」

「はい……わかりました」


引用文献:
糸川 洋(2012)『トゥルー・ミディアム』Kindle版,
第三章 死別した夫婦の契りは……「笑いはとてもよい栄養」

彼は今は魂の医師として、亡くなった人の魂をあちらの世界で癒しているとのこと。そして、この世に遺してきた奥様のことも、気がかりだったのですね。妻の人生が、ただ涙にくれてばかりで時が過ぎていくのは、夫として耐えられなかったのでしょう。
過剰医療を拒否して自分の「時」を大事にしたかった彼は、妻の今生きている「時」も大事にしてほしいと思っているはずですから。

悲しみに暮れても、楽しく過ごしても、等しく時は過ぎていくもの。
一足先に人生を終えた彼は、それを妻以上に実感しているはず。

それはきっと先立ったこどもたちも同じだろうと思います。
そしてこどもたちは自分でそれを選択することはできないけれど、親御さんの選択に感謝している、と思います。
徹底的に積極的な治療を、最後の瞬間までやることを望んでも。
あるいは我が子の「時」を考えて、家族として共に過ごせる時間を優先し、生きる時間が短くなったとしても…我が子への深い愛情から選んだ道である選択は、そのどちらもが正解なのだと思います。

 

お子さんの「時」を大事にしたように、あなたも今の自分の「時」を同じように大事にしてくださいね。               

2016/8/13  長原恵子
 
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