|
赤ちゃんの頃に亡くなったこどもたち、その魂はこの世での肉体年齢を超えて、はるかに成熟しているのだと思います。
アメリカの遺族カウンセラー ジョージ・アンダーソンさん(詳しくはこちらをご参照ください)が1980年10月26日、ラジオの生放送番組でリスナーのリーディングをされていた時のこと。死産だったお子さんの霊も、親を認識できることをジョージさんは次のように語っています。 |
「霊は、出産のときに肉体に入ります。妊娠中も母親のそばにいるので、死んで生まれても母親が誰だかはわかるんです」
引用文献:
ジョエル・マーチン, パトリシア・ロマノウスキー(著), 糸川 洋(訳)(1991)『WE DON'T DIE―誰も死なない』光文社, p.106 |
|
もしあなたが泣き声をあげず、息をしていない我が子との対面に「せっかくこの世に、誕生してきてくれたのに…」と、残念で、悲しくて、悔しくて、やりきれない思いでいっぱいであっても、お子さんはあなたのことをちゃんとわかっているのですね。ジョージさんはここでは、父親のことは言及していないけれども、母親が大切に思う父親のことを、お子さんがわからないはずはありませんよね。きっと。
さて、ジョージさんの著書『WE DON’T DIE』の日本語訳を手掛けられた糸川洋さんは、その出版2か月前にご自身のリーディングを奥様と共に受けられました。それはご自身がリーディングを経験することにより、リーディングの内容が正しいものであるかどうか、はっきりするからだと考えられたからです。
最初に奥様のお母様、お祖母様からのメッセージが伝えられた後、次に糸川さんの夭逝されたお兄様からのメッセージが伝えられてきたのです。 |
「誰かが『息子の死』と言っています。
あなたがたの真ん中に青年が立っています。
どちらかというと、(私を指して)
あなたのほうに近い人ですね……待ってください。
彼はあなたの兄弟だと言っています。お兄さんですね。
「はい」と私は答えた。
「悲劇的な死ですか」
「うーん……」
「年齢的に考えて悲劇的だ、という意味です。
事故ではありません。
赤ちゃんのときに死んだということです」
「はい」
「今では青年になっています。
あなたの奥さん、お嬢さんたちに呼びかけています。
キリスト教では、守護天使(ガーディアン・エンジェル)と
いうんですが、日本ではなんていうんですかね。
あなたがたを見守っていますよ。」
「はい」
「あなたのお母さんに、さかんに呼びかけています。
2人の間に仏陀が見えますが、あなたは仏教徒ですか」
「いやあ、そうとは言えないなあ」
「あなたは彼のために祈っていますか」
「いや、正直言うと、ほとんど存在を忘れています。
ごめんなさい」
ジョージに謝っても仕方がないのに、思わず不信心を責められたような気がして、反射的に「アイム・ソーリー」が口をついて出た。私が生まれる直前に、兄は数ケ月この世に生きただけで、天に召されてしまった。私の母は、私とちがって信心深く、いつも兄の為にお経を唱えている。
「祈ってくれと言っています。
あなたなりの方法で祈ってあげてください」
「はい、わかりました」
引用文献:
糸川 洋(2012)『トゥルー・ミディアム』Kindle版,
「赤ちゃんのとき死んだ兄が守護霊に」 |
|
祈ってほしいというお兄様の思いは、死者の成仏のために必要だとか、そういった類の意味ではないでしょう。なぜならお兄様は赤ちゃんからすっかり立派な青年になり、この世で暮らす自分の弟とその家族を見守っていたのですから。自分はこの世で共に過ごす時間はなかったけれども…。
次は生まれてすぐ亡くなった赤ちゃんの事例です。ある男性がリーディングを受けられた時のこと。
|
「男性で親しい人が亡くなっていますか。
若い人のような感じです」
「いいえ」
「あなたは否定していますが、あちらではあなたの身近な人間
だと主張していますよ」
対象者はしばらく考え込んだ後、私に日本語でこう言った。
「そういえば、私の上に生まれてすぐ亡くなった男の赤ちゃんが
いたはずです」
再びジョージが口を開いた。
「その人は家族ですね」
「はい」
「あなたは彼のことをよく知らないかもしれませんが、
彼のほうではあなたに親しみを感じています」
「なるほど」
「その男性はお母さんより先に亡くなっていますね」
「はい」
「その男性がお母さんをあの世で迎えたと言っています」
「はい」
「あなたの兄弟ですね」
「はい、そうです
」
引用文献:
糸川 洋(2012)『トゥルー・ミディアム』Kindle版,
「あるテレビディレクターのリーディング」
|
|
リーディングを受けた男性のお母様は、躁鬱病の鬱状態の時、発作的に投身自殺をされたそうです。苦しさのあまり、お母様は生きるすべを見失っていたのかもしれません。でも、もうずいぶん前にその方が出産され、残念ながらすぐ亡くなってしまった男の子が、母親の最期をちゃんとお迎えに来てくれていたとは……。
幼い時に亡くなったこどもたちのことを「縁が薄かった」などと思ってはいけませんね。この世でそんな風に捉えていても、あちらの世界では違います。たとえ何十年経ったとしても、そのご縁を大事に思い続け、縁ある方が生きている間も、そして亡くなる時であっても、共に力を発揮してくれるのですから。 |
|
|
この世を短く駆け足で旅立った後も、ご縁のある人のお役に立とうと頑張っている赤ちゃんの魂。命の長短で人生は語りきれません。 |
2016/9/13 長原恵子 |