看護学生の時、寮の部屋ごとに購読していた新聞。私の部屋では朝日新聞を購読していました。今朝、滞在先のホテルフロントに置いてあった新聞、一面の右上には「朝日新聞」の題字。あー懐かしいなあと思って手に取りました。そこにある神職の方のお話(※)が載っていました。
オーストリア出身のウィルチコ・フローリアンさんは元々日本の寺社建築、伝統工芸などの文化に魅了されていたそうですが、14歳の時に初来日されて神社、鳥居、お守り、そういったことに興味を示されるようになったのだそうです。そして神社とメールでやり取りするようになり、高校卒業後は来日して神社で働き神職の資格もとり、現在は三重県津市の野邊野神社でお務めされているそうです。フローリアンさんは「昔の人の知恵を生かすことで昔の人とつながり、タイムスリップしたように歴史の一部になり歴史を生きていると感じます」(※)とお話されていました。
そしてその言葉の前振りとして神道の「中今」という言葉が紹介されていました。「中今(なかいま)」とは「過去にも未来にも世界があり、真ん中の今を精いっぱい生きること」(※) なのだそうです。
その言葉を見た時に思い出しました。
2年ほどの間、ずっとやり取りをさせてもらっていたあるお母様のお子さんのことを。彼は今週、この世での大仕事をやり遂げて、ついにお空に還っていきました。
その少年の生きる姿がまさに「中今」だったなあと思ったのです。
彼はそういう言葉、知る由もなかっただろうけれど
本当に彼の人生は中今だったなあと……。
過去と未来の中にある現在、それはどこからどこまでが現在で、どこからが過去で、未来で……そんな切り分けはできないけれど、そんなこと切り分ける必要はないのだろうと思う。一連の時間のつながりの中で人は生きているのだから。
この世にご縁を受けて生まれ出て、生きた彼の2年4カ月。それはそこで終わってしまったのではなく、未来へ強いつながりを持つ時間なのです。なぜなら彼の誕生によって家族は大きく変わっていったから。次々と立ちはだかる壁に心打ちひしがれた思いになった時、そのつどそのつど、パパもママもお兄ちゃんも、みんなが変わっていったから……。変わるたびに強さを得ていったから。そのご家族にとって一つ一つの瞬間が現在につながっていった。「苦しみを乗り越えて…」そんな風に表現すると「ああきれいごとを…」とか「机上の空論」そんな風に斜めに見る人もいることでしょう。確かにそう揶揄されるような話は多いのかもしれません。でもそのご家族はポジティブに乗り越えていこうとすること、様々な考え方、日々の姿勢、それをまさに自分たちの生活の一部にしていったのです。そしてそれがまさにそのご家族の歴史になっていったのです。きれいごとなんかじゃない。私はその変わる力を間近で見て驚きの連続でした。人は自分の考え方、物事の捉え方を変えていくことによって、本当に力強さを携えていくのです。常に現在進行形で変わって行きました。お子さんとの時間を積み重ねていくことによって、連続的な時間の中で段々と。
こちら2018年5月の津軽海峡。境界線ははっきりしない海と空。まるで別々ではなく一つのもののように見えます。少年の生きた2年4カ月と家族の力強い変容、その姿を象徴しているかのようでした。一続きのようであっても実にたくさんのものが含まれている姿を。 |