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こどもには不思議な力が宿っているのではないかと、そう思わずにはいられないことがありませんか?何も知らせていないのに、大人以上に鋭く事実を察することがあります。
でもその事実があまり喜ばしい展開ではなかった時、大人だったら自暴自棄になったり、ひどく荒れた生活に陥ることは多々あることでしょう。でもお子さんはそうした乱れた姿を見せず、日々の時間を過ごすことができる…。
それは決して、こどもの思考能力が未発達だからというわけではないと思います。もしかしたら、事実の背後にある真理を見抜いているからこそ、荒れないのかもしれません。たとえば命とか人生とか、本当の死の意味とか…。あるいは、こどもたちが何か得体のしれない不安に陥らないように、守ってくれる力が働いているのかもしれません。
池川 明先生の本にそれを強く確信できるようなお母様のお話があったので、今日はご紹介したいと思います。
あるお子さんが3歳の時に小児がんを発症。手術と抗がん剤治療を行いましたが、その後二次性骨髄性白血病を併発し、骨髄移植後に再発。
ご家族はもうそれ以上の入院治療よりも、自宅で過ごす時間の方を選ばれました。ご自宅へ向かう帰路の途中、お子さんと交わされた言葉を、お母様は次のように回想されています。 |
桃華は再発のことも医師とのやりとりも知りませんでした。
しかし、東京の病院から自宅がある山梨に帰る車の中で、急に
「雪の国に帰らなくちゃいけないの」と言いました。
動揺した私が、
「かぐや姫みたいだね。
ママが『行かないで』って言ったらどうなるの」と聞くと、
「『どうして遅くなった』って怒られちゃう。
でもね、ママに手紙を書くから。
『元気ですか。さみしくないですか』って、手紙を書くから」
と答えました。
危機的な状態を脱し、夏も秋もすぎて、「雪の国」の話をすっかり忘れていたころ、桃華は私に抱かれて、胸の中で息を引き取りました。
翌朝カーテンを開けると、うっすら雪景色でした。「雪の国」に帰るというのは、この時期に天国に帰るということだったのだと、そのときやっとわかりました。
亡くなってから、桃華は命日にはよく雪を降らせてくれました。
桃華を思うとき、遠くの空は青空なのに、私のいる場所は雪が舞うこともありました。「いつもそばにいるよ」というメッセージのようで、私はいつのまにか、たましいは存在すると確信するようになりました。
それから10年たち、今年は晴天でした。
そして記録的な大雪が降り、銀世界になったある日、桃華とひとまわり違いの、桃華そっくりな4歳の息子が「ママに手紙を書いたよ」と見せてくれました。
最近字が書けるようになったのに、ギザギザの線が2本。
「何て書いてくれたの?」と聞くと、
「『ママ、さみしくないですか』って書いたよ」
ずっとずっと待っていた手紙が、やっと私のもとに届きました。10年の節目に届いた手紙、私の宝物です。
引用文献:
池川明(2015)『ママ、いのちをありがとう』二見書房, pp.155-157 |
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人間はこの世の人生を全うした後も、こうして次元を超えて続く命があるんだって、確信させられますね…。
空に帰った桃華ちゃんは、10年たってもママとの約束を忘れることはなかったんだなあ…。弟くんの手を借りて、こうしてママにお手紙書いてくれたんですものね。
ママにわかるように雪の日に、ママにわかるように10年前と同じ言葉…。
桃華ちゃんはこの世の人生が終わった後も、空の上で、ずっとご家族のことを見守っていたのだと思います。そして弟くんが新しくこの世の命を得て、生まれ来る時に「ママやパパにメッセージを伝えたい時、助けてね。よろしくね!」ってお願いしていたんだろうなあって思います。
池川先生は命について次のように綴られています。 |
命には、「肉体の命」と「たましいの命」があります。肉体の命は、遺伝子というかたちで子孫に引き継がれることもありますが、個人の命としては、死とともに姿を消します。
けれど、「たましいの命」は、死によっても決して損なわれることはありません。肉体が死ぬと、たましいはこの世での学びをたずさえて、ふたたび雲の上に還っていくのです。
生まれる前にたましいが存在したように、亡くなったあともたましいは存続します。人生の重みは、その長さで決まるのではありません。この世に来て、縁ある人たちにたくさんの愛と気づきを贈ったなら、たとえ短くても、その人生をまっとうしたことになります。
引用文献:前掲書, p.154 |
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本当に、その通りですね……。 |
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お子さんと交わした何気ない言葉、うっかり忘れてしまうかもしれないような、日常の膨大な時間の中に埋もれてしまいそうな言葉。
でもお空に帰った後も、お子さんはそれを忘れていません。
そして、その中に大切な意味があることを。
そして、いつかその言葉の持つ意味が、ご家族にとって必要だ!という時、もう一度お知らせしようと、必ずメッセージを送ることを。
小田和正さんがオフコース時代に作られた歌の中で、「いつもいつも」という歌があります。今から40年近く前の歌で、とても短い詞だけれど、きっと夭逝したお子さんの気持ち、重なるように思います。
「また会う日までね。いつも思っているからね」って。
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あなたのことは 忘れないよ
ふるさとの 山や海のように
ふるさとの 友たちのように
また会う日まで
いつも いつも いつも
いつも いつも いつも
引用楽曲:作詞・作曲 小田和正「いつもいつも」 |
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お子さんは交わした約束を、どんなに時間が経っても、必ず果たしてくれるもの。それは思わぬ形をとるかもしれないけど…。 |
2016/1/6 長原恵子 |
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