お子さんが亡くなってしまった後、自分の生活自体が、どこか夢物語のような、現実感を伴わないように感じる方がいらっしゃいます。 「本来自分の居る場所ではないところで、自分が生活し続けている。 私の居るべき場所は、本当はここではないのに…」 そういう感情が強く押し寄せてくるのです。 「私の居るべき場所」それは、多くの場合、お子さんが生きていた頃の時間や空間を指します。だからお子さんが亡くなった後の時間が、虚構のように思えて仕方ないのです。 「早く10年くらい経たないかなあ。そうすればこの苦しさが一気に過ぎ去るだろうに…」そんな思いが頭をよぎってきます。 大切な方に先立たれて悲嘆にくれる方を支援するための学問として「グリーフケア」というカテゴリーがあります。そこでは「再配置」という考え方があります。亡くなった方のことを、心の中で改めて認識しなおすことによって、生まれる苦しい感情を変えていくとでも言いましょうか。それではちょっとわかりづらいと思いますので例を一つ。 (死別の例ではありませんが、わかりやすいように取り上げますね) あなたは芸能人A氏の熱烈なファンだったとします。とても大好きだけど、直接A氏に会えなくても、言葉を交わすことができなくても、身も切られるように、辛くて生きていけなということはないと思います。 それは、あなたがA氏のことを「毎日会えない、話ができないことはごく自然なこと」と認識しているからです。「だって、そういうものだから」という感じかもしれません。 でもA氏はあなたにとって「とても大切な人」であることに変わりありません。一日の中でA氏のことを思い出し、応援することにより、あなたの心は充たされ、生活の中に張り合いがもたらされるのです。 再配置という考え方では、その対象の方自体は変わらないのですけれど、その方へのあなたの認識を変えることによって、その方へ向けられていたあなたの辛さや苦しみを「新たに生み出さない」状態になっていくことを期待します。それは理不尽さから生まれる感情、例えば怒りや失望等も、あてはまります。 「会える、連絡を取り合えるはずなのに、今迄そうだったのに…」 というこれまでの認識から、 「今は一緒にご飯を食べたり、電話で声を聞くことはできないけれど、 とても愛している大事な我が子」という認識へ変えることが大切です。 そのような新しい認識を持つことによって、お子さんはあなたの心の中に新しい居場所を得られたことになります。 あなたはお子さんのことを思うとき、会えない辛さが身に沁みるというよりも、お子さんへの愛情が溢れるという気持ちになることでしょう。 「再配置」について今年の春まで私自身、そう考えてきました。 大学院で修士論文に相当する特定課題研究でもそのように考えてきましたし、それを加筆修正して発表した論文(※)の執筆当時も、そうでした。 ※長原恵子(2013)子を看取る親の悲嘆と仏教思想, 人間学研究論集, pp.127-140 でも小田和正氏の歌「彼方」を2014年6月に初めて和歌山のコンサート会場で聞いた時に、もっと別の考え方もあるのではないかと思うようになったのです。
そしてあの日と同じ場所に立ち 見守るように 君は待ってる 時が新しいいのちを また運んで来るんだ
真実と呼べるものは 何ひとつとして この手にはつかめないとしても つながるいのちは 明日を ずっと見届けてゆくんだ
僕らをこえて 別れをこえて 悲しみをこえて 心こえて いのちをこえて 時さえこえて 永遠に続いてゆくんだろう
引用楽曲: 作詞・作曲 小田和正(2014)「彼方」 (アルバム「小田日和」より)
ここに先立ったお子さんとあなたの姿を重ね合わせてみてください。 死によって肉体から抜け出したお子さんの魂(霊)は、自由になり、もう苦しんだり、傷つくことのない新たな命を得て、またこの世界にやって来ていると考えてみてください。 そしてご両親や遺した家族のことを見守っているのです。 いつかそれぞれの方の寿命が尽きた時、お子さんはその方が、スムーズに新しい命が得られるようなお手伝いをきっとしてくれることでしょう。 そうしたことは今の科学の発達レベルでは、証拠として残し難いものです。でも、お子さんはそんなことはおかまいなし。お子さんはご両親や家族のことを今も、これからも、ずっと見守っているのですから。 小田氏の「彼方」を聴いて、「再配置」とは「生きていた頃といつまでも同じように認識することをやめて、もう亡くなったのだから…と現実に沿って認識しなおすこと」ではなくて、「死後の生によって生まれる新しい関係性に気付くこと」ではないかなぁと思うようになったのです。 それは死後の生、という概念があってこそ成り立つものでありますが。 新しい関係性を心の中に取り入れることにより、「別れ」という事実も「悲しみ」も「心」も「命」も「時」も、私たちの感じ方は大きく変わっていきます。 生と死は太古から、そしてこれからも未来もずっと起こることではあるけれど、死は命の消滅ではなくて、新しい関係性への変化だと気付けば、これまでの悲しみに向けられていたエネルギーは、新しい関係性への感謝へと向けられるようになると思います。 先立った人が支え続け、見守ってくれることへの感謝が生まれるのです。 そしていつかは立場が変わり、自分も大切な誰かを支え、見守り続けていくのです。その営みは限りなくずっと。